シェルビーの一周忌

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(綾花;8ヶ月の頃)

 時間の経過は、本当に早いもので、シェルビーが天国に旅立ってから、1年が経ちました。 今でも、シェルビーの事を思うと、目が潤んできます。 綾花も、時々、シェルビーの話をしたりします。 シェルビーの死後、半年程は、シェルビーの帰ってくるのを待っていたようですが、今となっては、『死』という言葉の意味が理解出来たようです。最近では、「いつになったら、シェルビーは、帰ってくるの?」という質問のかわりに、「何歳になったら、死んじゃうの?」という質問をするようになりました。 
 シェルビーの死後、トニーとともに、こんなに幼い子に、「死」について教える事を、いろいろ悩みましたが、シェルビーの存在は、綾花の写真、ビデオ、そして心からは、消す事は、出来ません。だからこそ、正面からしっかり見つめさせることにしました。その結果、今の段階では、「死」を恐れるような感じになりました。これからの課題は、「死」があるから「生」がある、そして「生きる」事の意味を教えて行く事でしょうか。こんな風に考える機会があるのも、シェルビーの存在があってこそです。ありがとう、シェルビー♡

ペットの死と子供達

 先週、綾花のお友達、瀬里菜ちゃんの家の猫ちゃんが亡くなった。ペットを飼った事のない人には理解出来ないかもしれないが、ペットをかわいがる人間の一人としては、人ごとには思えない。我が家でも、この3月に、愛犬シェルビーが亡くなり、辛い日々を過ごしたばかりである。
 週に何度か一緒に遊ぶ機会のある瀬里菜ちゃんは、遊んでいる途中、突然「さくらちゃんが死んじゃった」と、目を潤ませる。4歳の子供に、「死」という永遠の別れが理解出来ているのか疑問ではあるが、悲しい出来事、という事だけは、ちゃんと分かっているのだ。そして、瀬里菜ちゃんのこのような態度をみていてか、昨晩突然、綾花は、「シェルビーに会えなくて、さみしい」「シェルビーは、いつになったらお空から戻ってくるの?」と大泣きした。たかが3歳、でも、3年間一緒にいたシェルビーは、綾花にとっても、大きな存在だったんだなあ。私も、なんだか悲しくなって、目を潤ませてしまった。

シェルビーの思い出 〜羊追い編〜

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シェルビーとお別れして、1ヶ月が過ぎました。あのときは、雪が残っていて、”冬”という感じだったけど、今ではすっかりり、暖かくなって季節も変わり、たった1ヶ月だけど、随分前の事のように感じます。

昨日は、朝から暖かだったので、裏庭のポーチで朝食を食べていたら、急に小さな竜巻みたいな風が、一瞬駆け抜けて、木の枝を揺らして行ったので、つい、シェルビーが遊びに来たんだ、なんて思ってしまいました。
シェルビーは、ベルギーシープドッグという、羊を追う目的で繁殖された犬種だ。もちろん、シェルビーは、特別な訓練等受けていなかったので、羊を追う事等出来なかったけど、習性がそうさせたのか、2度程、羊でなく、猫と綾花を追った事がある。
1度目は、ベアーが家から初めて脱走した時。それまで外に出た経験のなかったベアーは、動転して隣の家の植木のしたに潜り込んでしまった。それを、シェルビーが見つけて、ベアーの周りをぐるぐる回りながら、玄関まで追って来た。
2度目は、綾花がよちよち歩きをはじめた、2年前の秋の事。隣の公園のサッカーグラウンドの真ん中で綾花を歩かせ、私がちょっと離れたら、グループがバラバラになったものと思ったのか、綾花の周りをぐるぐる回って、徐々に私の方に導こうとしていた。でも、綾花は、羊ではなかったので、シェルビーに追われどころか、周りでぐるぐる回るシェルビーをみて大喜びし、しまいには、しっぽを捕まえようと、シェルビーを追い始めた。
シェルビーは、罪悪感を感じたり,困った時には、耳を後ろに倒して、顔を下に向け、独特の上目遣いで私を見る表情をしたが、そのときも、そんな目をして、「失敗してしまいました」みたいな感じだった。

最近では、隣の公園に沢山の犬が来て、それぞれ飼い主と楽しそうに遊んでいるので、そんな光景を見ていると、シェルビーと遊んだ事を、ついつい思い出してしまう。

シェルビーが残してくれた贈り物

今日は、「春の第一日目」と呼べるような、暖かな日だった。ジャケットを着なくても、外で過ごせるような暖かさだったので、私と綾花も、早速裏庭に出て、庭仕事にいそしんだ。畳み1枚にも満たない大きさの野菜畑を耕すと、早速沢山のみみずが出て来て、綾花も大喜び。(綾花は、大のみみず好き)

さて、我が家の裏庭は、公園と隣接しているため、公園を行き交う人たちが、よく見える。そして、私達が庭仕事をしていると、公園を行き交う人々が、「あれ、シェルビーは?」なんて、声をかけてくれる。この公園を歩いている人たちは、私の名前をしらなくとも、シェルビーの名前は、ちゃんと知っているのだ。反対に、私も、多くの犬の名前は知っているけど、彼らの飼い主の名前は、知らない。
シェルビーの悲しい出来事を伝えると、彼らもまた、「さみしいわ〜」とか「残念ね」と声をかけてくれる。改めて、シェルビーは、沢山の人に愛されていたんだなあ、と感じる。そして、そういう風に、気軽に話がを出来る人々をもたらしてくれたシェルビーに、心から感謝したい。

最後の責任

シェルビーとお別れして3日。Hemangiosarcomaについて、インターネットで、出来る限り多くの記事を読んだ。Hemangiosarcomaについての情報は、どのサイトでも、同じような内容で、症状が出てから6〜8週間の余命と書かれている。それゆえに、愛するペットをなくした多くの人は、私のように、あまりに突然の出来事で、現実を受け入れがたい思いをしている事を知った。 

私が、この3日間、出来る限り多くのサイトに目を通したのは、シェルビーがどんな状況で命を終わらせたのか調べたかったのと、もうひとつ、すべて主人を介して、獣医さんとの対話をしていたので、最後に、きちんと自分の耳で、シェルビーの状況を確認したかったためだ。不幸にも、医学に関する英会話には、全くお手上げの私には、獣医さんから、シェルビーの最後について話をしてもらうのに、予め学習する時間が必要だった。

獣医さんも、忙しい状況の中、私の質問に、納得いくまで、そして、分かりやすい説明で答えてくれたのに感謝している。ただ、どのサイトにも書かれていなかった、疑問、「いつ頃から、癌が始まって、どのくらいのスピードで転移して行ったのか?」これには、獣医さんも知る由がないとう事だった。
そして、最後に「あなたの決断は、正しいものだった。愛するシェルビーへの責任をきちんと果たせましたよ」と一言加えてくれた。この言葉で、何となく、胸につかえいたものが、すーっと引いて行く感じがした。
もう、今日からは、寝ても起きてもHemangiosarcomaについて、調べることは、やめよう。

A Thousand Winds

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OUR BELOVED PUPPY, SHELBY
March,1996-13th,March,2005

A THOUSAND WINDS

Do not stand at my grave and weep,
I am not there, I do not sleep

I am a Thousand winds that blow;
I am the diamond glints on snow.
I am the sunlight on ripend grain;
I am the gentle autumn’s rain.

When you awake in the morning hush,
I am the swift uplifiting rush of quiet in circled flight.
I am the soft star that shines at night.

Do not stand at my grave and cry.
I am not there; I did not die.

HEMANGIOSARCOMA

我が家の愛犬シェルビーの亡くなった原因が、HEMANGIOSARCOMA 〜血管外膜細胞腫〜 だった。

これまで調べた結果、この病気は、血管の外膜に沢山の水泡や毛細血管をつくって腫瘍となり、非常に悪性で、転移性の高い癌ということだ。大型犬、中型犬の中年から老犬に多くみられ、特にジャーマンシェパード、ゴールデンリトリバーが、この癌にかかりやすいと、調査が出ている。また、1960年代後半の調査では、アメリカの犬の10%の死因が、HEMANGIOSARCOMAによるものだという。

HEMANGIOSARCOMAには、主に3種類あって、外皮にでるもの、内皮にでるもの、内蔵(主に脾臓、心臓)にでるものがある。外観や、触感で発見しやすい、先2つに比べ、内蔵にでるものには、犬にHEMANGIOSARCOMAの症状がでた時点で、肺、腸等に転移していることがほとんどだと言う。

病気の症状としては、食欲の減退、歯肉の血色が悪い、下痢、鼻からの出血、下血、腹部の腫れ、元気がなくなる、というものだが、この症状が出た時点では、たいていの場合、残された命は、6〜8週間だといわれている。

シェルビーに関して言うと、亡くなる約1週間前に、急に元気がなくなり、食欲も落ちたことがあった。食欲の減退に関しては、数週間前から切り替えた、老犬用のドッグフードが気に入らないものと思っていた。このときの元気のなさは、1日で治ってしまったので、余りシリアスに受け取らなかった。(今思えば、私が楽観的すぎた。)そして、亡くなる日の前の晩、極度の食欲の減退+色の濃いおしっこを、少量お漏らしするようになった。それでも、何度かは、外に出てトイレをしていたのと、ドッグフードの代わりにキャットフードをあげたら、ぺろりと一皿平らげてしまったので、膀胱炎になったものと思い、お医者さんに連れて行こうかな、と思い始めていた。 亡くなる当日の朝、朝一番でトイレに行きたがるのに、自力で立つこともままならない状態になってしまった。救急病院に電話して症状を伝えると、膀胱炎どころか、もっとひどい可能性があるので、すぐ来るように言われた。

獣医さんの診断とレントゲン撮影の結果、HEMANGIOSARCOMAという癌の疑いが非常に高いこと、シェルビーの体内で、腫瘍が破裂して、血液と思われる液体がたまっていること、癌と思われる腫瘍は、一カ所でなく数カ所に及んでいる可能性があることを聞かされた。

その場で、手術をするかどうか選択を迫られた。今考えてみると、手術だけでなく、安楽死という選択も、暗黙の了解で迫られていたのだけれど、その時の私は、手術をすれば、命が助かるものと信じて疑わなかったので、手術をお願いした。その後、もう一度、手術をしても、3ヶ月生きられればいい方だと念を押された。楽観的な私は、残された3ヶ月、シェルビーを思い切り甘やかしてやろうと思って、再度手術をお願いした。トニーは、私の決断を100%サポートすると言って、あくまでも私の意見を尊重してくれた。

シェルビーが手術をする際には、家で待機しているように言われたので、(この時点で獣医さんは、シェルビーの手術が、完了することはないと、分かっていたのだろう)病院を後にする前に、もう一度シェルビーにあわせてもらった。治療室で、点滴を打ってもらっていたシェルビーは、病院に来たときとは、打って変わって元気になり、私の顔を見るとしっぽを大きく振っているのが、かけられた毛布の上からでも、よくわかった。「手術をしたら、またお家に帰るんだよ」と声をかけて治療室を出ようとすると、シェルビーは、点滴のチューブを引きずりながら、私の後を追ってきた。この時のシェルビーが、余りに元気でいつも通りだったので、手術を終えて、2、3日後には、家に帰ってくるもと疑わなかった。

ところが、意外にも早くかかってきた電話は、「癌が内蔵の至る所に広がっていて、手の施しようのない」という内容で、麻酔の効いているうちに、安楽死させるか、麻酔が切れてからお別れするか、という選択を迫られた。私の脳は、全く働かなかった。こんなに簡単に、シェルビーの命について決めていいものなのか?重大な責任が大きくのしかかって来て、呼吸することさえ困難に感じられた。ただ一つ確実だったのは、シェルビーにこれ以上苦しい思いをさせられないことだった。

今思うと、シェルビーの健康に関して、あまりに無知で鈍感過ぎた。今となっては、何を言っても遅いのだけれど、せめてもう少し早く、お医者さんに行っていたら、とそんな気持ちで胸がいっぱいになってしまう。

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