that's my baby

自転車乗り

かなり前に買った、綾花の自転車。冬の間は、屋外で乗る事は出来なかったので、家の中の狭い部屋で、飽きる事なく乗り続けていた。ここ数日、天気がいいので、早速、前庭で挑戦。 まだ、足の長さが若干足りない綾花には、私の手助けがないと、前に進まない。でも、狭い部屋と違って、屋外では、開放感が加わるので、ドライブウエイの往復だけでも、相当気持ちいいように見受けられた。何分かに一度は、休憩(後ろでかがみながら押してる私に、必要)して、飽きもせず1時間程乗ってみた。最後に、お気に入りの自転車と、ハイポーズ!

Picture diary

双子誕生

このブログをご覧の皆様の多くが、首を長くして待っていた、加代さんの双子ちゃん。 昨晩、10時7分に陽登(あきと)くん(左)、10時9分に藍良(あいら)ちゃん(右)が、無事誕生したとのことで、お二人に変わって、報告させていただきます。 本日、一足お先に、病院にお見舞いに行って来ました、ベイビーは、2人共、3000g以上あったという事で、お姉ちゃんの瀬里菜ちゃんが誕生したときより大きいそうです。赤ちゃんを見ると、改めて、加代さんのお腹に、この二人が入っていたの?と驚くばかりです。 加代さんの体調も、赤ちゃん同様に素晴らしいもので、改めて、加代さんの健康体に、感心させられます。しかし、帝王切開だったので、まだまだ無理は出来ないのですが。 なにはともあれ、おめでとう、加代さん、ギョクハン。そして、お家で、泣かずにしっかりと留守番している瀬里菜、お利口さんだね。本当、感心しました。

In memory of Shelby

シェルビーが残してくれた贈り物

今日は、「春の第一日目」と呼べるような、暖かな日だった。ジャケットを着なくても、外で過ごせるような暖かさだったので、私と綾花も、早速裏庭に出て、庭仕事にいそしんだ。畳み1枚にも満たない大きさの野菜畑を耕すと、早速沢山のみみずが出て来て、綾花も大喜び。(綾花は、大のみみず好き) さて、我が家の裏庭は、公園と隣接しているため、公園を行き交う人たちが、よく見える。そして、私達が庭仕事をしていると、公園を行き交う人々が、「あれ、シェルビーは?」なんて、声をかけてくれる。この公園を歩いている人たちは、私の名前をしらなくとも、シェルビーの名前は、ちゃんと知っているのだ。反対に、私も、多くの犬の名前は知っているけど、彼らの飼い主の名前は、知らない。 シェルビーの悲しい出来事を伝えると、彼らもまた、「さみしいわ〜」とか「残念ね」と声をかけてくれる。改めて、シェルビーは、沢山の人に愛されていたんだなあ、と感じる。そして、そういう風に、気軽に話がを出来る人々をもたらしてくれたシェルビーに、心から感謝したい。

that's my baby

Happy Easter To Everyboday!

イースターは、キリストの復活を祝う祭りで、キリスト教信者にとっては、最も聖なるイベントである。が、しかし、子供達にとっては、イースターエッグ探しだとか、イースターバニー(ウサギ)にあったりして、チョコやお菓子をもらう、楽しいイベントである。 我が家も、信者でもないけど、家の中にイースターエッグ(卵の形をしたプラスチック容器で、その中に、チョコやお菓子を入れる)を隠し、皆で探しっこなどしてみた。綾花には、この遊びのコンセプトが分かっていなかったようなので、綾花の部屋の入り口に、卵を入れるバスケットを置き、その先、2メートルおきぐらいに、卵をおいて、自然に卵を拾う心理をかき立てさせたら、大成功。その後、探した卵を、再び隠し、探すこと3、4回。このイベントが相当気に入ったようだ。

that's my baby

お泊まり出来ました!

昨晩、お姉さんの家から帰りたがらなかった綾花は、結局、お姉さんの家で、一晩過ごし、朝食まで頂いて帰って来た。正確には、朝食が終わって、一息ついた所で、「I want mama!]」と切り出したとの事。それまで頑張っていたのか、単にママが恋しくなったのか知らないけど、私達の予想をはるかに上回った、綾花の行動に、驚くばかりである。しかも、朝起きたら、1人でトイレに行って、パジャマのズボンとオムツを外して、おしっこまでしたと言う。お姉さんには、「教育が行き届いているわね」と感心されたが、実は、こんな事、家では、一度もした事がないのだ。 しかし、笑えたのが、お姉さんの子供といとこのハナちゃんと皆で朝食のゆで卵を頂いている時に、他の子供達は、お塩を付けていたのに、綾花は、しょうゆをリクエストしたのだそうだ。お姉さんにとっては、かなりのカルチャーショックだったららしい。

that's my baby

お泊まり、なるかどうか?

今夜は、トニーのお姉さん夫婦が、ベビーシッターを引き受けてくれるという事で、私達は、映画を見に出かけて来た。そして、先ほど、綾花を引き取りに行くと、綾花は、寝た振りをして、私達が迎えに来た事に、気づかぬ振りをしていた。今夜は、綾花の好きな、いとこのハナちゃんが、お姉さん夫婦の家にお泊まりするという事で、綾花も帰りたくなかったのだ。綾花も泊まりたいと言い張るので、ひとまず、綾花を置いて、家に戻って来た。でも、本当に泊まれるのだろうか?ちょっと見ものである。

Picture diary

まっくろくろすけ出現!

最近、我が家には、まっくろくろすけが出るらしい。トニーが夜中に、キッチンに水を飲みに行った際、見かけたと言っていた。しかも、2日連続で。目撃証言を詳しく聞いてみると、毎回、冷蔵庫を開けると、冷蔵庫のドアから逃げるかのように、まっくろくろすけらしき物体が、冷蔵庫から遠ざかって行くのを見たという事だ。 この話に、綾花も私もかなりエキサイテイング気味になったが、私には、その物体の正体が、何となく分かっている。我が家には、黒猫が2匹いる。シェルビーがいなくなったのを機に、彼らのえさのボウルをキッチンの真ん中に置くようにした。(これまでは、シェルビーの盗み食いのターゲットになっていた)そんな事で、猫達も、最近は、キッチンでのんびり過ごすようになった。その猫達の毛が落ちて、一つにまとまって(ほこりとか猫の毛って、ひと固まりになる習性がある)冷蔵庫のドアーの下にたどり着いたのだ。しかも、このところ、家事全般を怠っていたので、今日確認したら、やはり、猫の毛の固まりがありました。 トニーの見た、まっくろくろすけは、猫の毛の固まりが、冷蔵庫のドアーを開けた勢いで、飛ばされたものだったのだ。今日は、その固まりをしっかり掃除しておいたので、今夜、トニーがまっくろくろすけを見たというなら、それは、本当のまっくろくろすけに違いない! ちなみに、まっくろくろすけは、「ととろ」に出てくる、キャラクターの一つです。

books

Boo Boo

以前紹介した、あひるのこシリーズ。全6冊のうち3冊を持っていたけど、余りのかわいさに、残り3冊も買ってしまった。その中で、わたしと綾花が1番気に入ったのがこれ、「ぶぶ」。(でも私は、間違えて、「ぼぼ」と最初に読んでしまったので、融通のきかない綾花は、後に訂正して「ぶぶ」といっても、聞き入れてくれないので、家では、「ぼぼ」という事になっている。) ぼぼは、何でも食べる食いしん坊。朝から晩まで、ありとあらゆるものを食べて、しまいには、シャボン玉まで食べてしまった。その後、げっぷをしたら、口からシャボン玉がでて来た、という、とっても愉快なお話。この部分が、綾花のつぼをついたようで、はじめて読んだときから、大笑い。そのあと、綾花も、「シャボン玉がとんできた〜」といって、食べる真似をしては、げっぷをして、「あー口から、バブルスがいっぱいでて来た〜」と大騒ぎ。シリーズ6冊の中でも、特に愛らしい1冊です。

the word of the day

like mother, like daughter

この1週間程、体調不良で、私も綾花も、家の中で過ごしていた。よって、我々2人の密着度は、かなり濃厚なものになっている。主人に言わせると、密着度どころか、仕草や話し言葉までそっくりだとか。 “like mother, like daughter” この写真、そのものを表している言葉。日本語で、なんていったら良いのかなあ?「この母にしてこの娘あり」って感じかな?

that's my baby

「死ぬ」ってなあに

生まれたときから、一緒に生活していたシェルビーは、綾花にとっては、まさしく家族の一員のなにものでもない。なので、綾花にとっては、シェルビーが家にいない事が不思議なのだ。この1週間、私は、何とかシェルビーの死を受け入れる事を心掛けてきた。しかし綾花は、今でも、シェルビーの帰るのを待ち続けてる。シェルビーを病院に連れて行く時に、嫌がる綾花も、「シェルビーの病気を治すため」というと、それなりに納得して、おばあちゃんの家に行ってくれた。なので、なおさら、シェルビーの病気が治っていない、どころか、シェルビーがいない事に納得出来ないのだ。 この2日程、シェルビーの事を口にしなかったので、もう忘れたのかと思っていたが、本日、久々の外出後、家に戻って来たら、真っ先に、「シェルビー、いたづらしていた?」と家の中をの様子をうかがっていた。というのも、ここ数ヶ月、綾花の食事のおこぼれを口にするようにしていたシェルビーは、人間の食べ物の味を覚え、私達の外出中に、必ずゴミ箱をいたづらする癖がついていた。そして、私がすごい勢いで叱ると、綾花がシェルビーをかばうように、シェルビーの散らかしたゴミを片付けてくれるのが常だったから。 綾花には、「死ぬ」という事の意味を理解するのは、まだまだ難しいのだろう。でも、「死ぬ」という事が、もう会えない、ということは、この経験を通して学んでくれることだろう。

生涯学習