自然散策

昨日は、夕方になって一時土砂降りの様な雨がふり、その後はとっても肌寒く晩秋の様な夜でしたが、今朝は気持ちいい青空の秋晴れとなりました。

昨日からお泊りに来ている姪のセラと綾花は、朝からこっちが疲れるほど元気で、家の中にいてもどうにもならないので、市内にある遊歩道のある自然公園に出かけることにしました。

1カ所目は、トウパスと言って、その昔の運河があった川沿いに沿ってある、自転車、ジョガー、歩行者用の散策道を1時間程歩きました。こちらは、来週末トニーが出場するアクロン駅伝マラソンのコースに組み込まれているので、トニーの下見も兼ねての散策です。今日は運動に適した気温で天気もよかったので、沢山の歩行者、ジョガー、バイカー(自転車乗り)が次から次へとすれ違ったり、私達を追い越したり、、、ここにいる限りは、肥満の多いアメリカって言うことを忘れさせてくれます。

トウパスを1時間程ふらついた跡は、車で20分程移動して、ネイチャーセンターへ。こちらの施設は森の中にあって、施設内では、この地域に生息する生き物のことや、その昔この地域が氷で覆われていた氷河期時代のことについて説明されているパネルがあったり、またバードウオッチングルームもあり、窓の外に設置された鳥の餌をお目当てにやってくる鳥達の観察が楽しめます。

 

こちら、長い事餌箱を独り占めしていた、雌のカーデイナル。

 

餌箱の横では、雄のカーデイナルとゴールドフィンチが、雌のカーデイナルが、お行儀よく、雌のカーデイナルが食べ終わるのをじっくり待っていました。カーデイナルはオハイオ州の鳥ですが、実はこの鳥、東海岸だけでも7州位で州鳥と指定されているんです。人気者というか、どこにでもいる馴染みの鳥と言うか、、、、ありきたりとはいえ、雄の赤い色はきれいですよね。

 

このネイチャーセンターの敷地内には、2つの散策道(トレイルコース)があります。そのうちの1つ、チェリートレイルとフェーントレイルの組み合わせ合計1.1マイルのコースも歩いて来ました。森の入り口近くのある、三つ又の木に怪しい物陰が、、、、、、

 

近づいてみたら、チップモンク(シマリス)が木のみをせっせと食べていました。

 

 

 

この時期、シマリスは冬眠に備え食欲旺盛であるのと同時に、冬眠中に目覚めた時のおやつ集めに余念がありません。チェリーコースの一部に、私が勝手に名付けた”シマリスの森”という箇所があるのですが、その辺りを走り回るシマリスのほっぺは皆思い切り膨らんでいます。シマリス達は、ホッペにポーチと言って、大きな袋があり、この袋につめられるだけの食料を詰め込んで、自分の穴に運び込みます。冬は基本的に冬眠するシマリスだけど時折目が覚めるそうです。その時に、秋の間に集めておいた木のみをおやつにするんだそうです。そしてまたお腹がいっぱいになったら眠りに戻るとか、、、、こういう動物の習性って、不思議ですよね。

ところで、シマリスの森と私が呼んでいる場所ですが、ここが特別シマリスが多いわけではありません。このネイチャーセンターの敷地には、どこにも平均的にシマリスが走り回っています。実は、シマリスの森の場所では、シマリスが鳴いて仲間がいるかどうかの確認をしている声がよく聞こえるんです。昨年まで、その声がシマリスのものだと知らずにいたのですが、昨年、このネイチャーセンターの係の人に説明を受けて、声の主が判明したんです。シマリスが鳴く事自体知らなかったので、とっても驚きましたよ。ちなみに、シマリスの鳴き声は鳥の鳴き声の様な声なのよ。

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ヴァイオリン新年度開始

今日から、ヴァイオリンのグループレッスンの新年度が始まりました。

個人レッスンは夏の間も行なわれていましたが、同じレベルの子供達が集まって受けるグループレッスンは、5月に終了して以来です。
今年は、3人いる先生のうち一人が産休のため、2人の先生で切り盛りして行くので、クラス編制もかなり変わりました。

昨年は4人で編成されたチェンバーオーケストラ(室内管弦楽団)は、今年は7人メンバーになりました。

 

 

今日はひとまず、皆で息合わせの為の曲を何度か弾いたり音量を変えながらの音階を弾いたりと、ウオーミングアップ的なことをして終わりました。

このところ、これから先の綾花のヴァイオリン教育を色々考えることが多く、そろそろスズキプログラムを卒業させてもいい時期かな、、と思ったりするのですが、このグループレッスンの影響は親子共々とても大きいものなので、色々悩んでしまいますが、これから1年間はここで学べることをすべて学び尽くすことに集中して行こうと思っています。

 

コミュニテイーサービス

この国では、ボランテイアという話は結構耳にしますが、教会に属していないとなかなかボランテイアの機会を見つけにくいもの。この4月に綾花のチェンバーオーケストラグループが招待され、日曜日の教会のミサでバイオリンを弾いた際に、偶然私の音楽仲間がこの教会のメンバーだと知り、その方を通じてボランテイアへの参加をさせて頂くことになりました。

 

実際ボランテイアってどんなことをしているのかというと、毎週1日、低所得者向けに無料で缶詰等の食料品の詰め合わせを配布しています。通称、フードカップボードと呼んでいますが、以下の様な形で、教会に来られた方々に 品物を配ります。

 

 

家族人数によって中身は若干変わりますが、中身はこんな感じ☟

 

缶詰ものがほとんどで、一応 野菜、豆、スープ、フルーツなどを取り入れています。箱のものは、お肉と混ぜていためる様なもの。(こういうの買ったことないので、良くわかんないけど),そしてトイレットペーパー2巻。

 

私はこれらの食品は、教会のメンバーの方からの寄付かと思っていたら、地域のフードバンクと呼ばれる所から購入しているそうです。

 

この基本パックの他に、冷凍のお肉類(大抵はハンバーガー)、バター、季節によっては個人的に寄付して頂いたお野菜や果物、地元のスーパーからの寄付で、賞味期限の迫ったパンや焼き菓子を、それぞれの訪問者の人数に応じて配ります。

 

その他、何でもコーナーから、教会のメンバーが持ち寄った品物(おもちゃ、毛布、化粧品、家電等本当に何でもあります)の中から1つ好きなものを選べる様になっています。何でもコーナーには、☟こんなふうに小瓶にわけた洗剤等もあります。

 

 

そして肝心の私のお仕事はといいますと、その日の状況によって変わって来ます。受付の人が足りない日には、受付係をします。このお仕事は、来訪された方の身元証明を規定通り行い、初めて来られた方の書類作りを行なったりする作業です。書類は教会用に保管する用紙と政府に提出する用紙の2種類があるので、2つの書類すべてに記入漏れがないように注意しなければいけないの。また住所が頻繁に変わる人もいるので、そういう人たちの身元証明を必ず確認しなければいけないんだけど、ホームレスになってしまった方はなかなか正直に言えないこともあって、スムースにことが運ばないこともしばしば。言葉の壁もあって、このお仕事は、ちょっと難しいです。

受付係が十分に揃っている日には、私は大抵裏方で、食品の袋詰めやフードバンクから箱ごと買ってきたハンバーガーを、2枚、4枚、6枚づつわけ小袋に摘めたり、上の写真のように洗濯要洗剤を小瓶に移し替えたり、本当に何でも屋となります。

 

 

 

ちなみに、裏方の部屋はこんな感じで、沢山の棚に食品がいっぱい並んでいます。

今の所私は、食料品配布の日のお仕事のみ参加していますが、食料品が配送される日には、食品を運び入れて棚に並べる作業があったり、基本パックをつめる作業を行う日があったりするそうです。基本パックを作る作業は特に時間が決まっていないので、教会のメンバーが時間のあいている時に来てパック作りをして行く様な感じだそうです。私はたまたま、教会のメンバーでなくてもこういう機会に恵まれましたが、教会に所属するとこのように社会参加出来る機会が与えられるという点では、いいものだなあ、、、と思ったりもしました。

やどかりワールドでの出来事

我が家には、こんな ☟ やどかりワールドが存在します。

 

毎年夏の初めに出かけるバージニアビーチのお土産屋さんでヤドカリを買っては、冬を越すことが出来ずに死んでしまうので、なんとか長生きさせてあげられないものかと、皆で知恵を絞って練り出した案が、本来ヤドカリが住んでいる環境を用意してあげよう!ということでした。

インターネットや図書館から借りて来た本でリサーチしたところ、やどかりにはちょっと深めの砂地が必要だということや、ある程度の湿気が必要、そして木登りが好きな性格を満たしてあげる為に、上り下がりの出来るものも用意してあげるといい、ということでした。

深めの砂地の砂はある程度の水分を含んでいなければいけないのですが、脱皮する際に砂に穴を掘って、ヤドカリ自らが自分を半分埋めた様な状態にする為です。脱皮状態に入ったら水を飲むことが出来ないので、砂に含まれた水分から 体に直接水分を浸透させるのが理由でアール。

やどかりの脱皮!?と驚きの声が聞こえて来ますが、ヤドカリは脱皮を繰り返して成長する生きものだそうで、小さいものだとかなり頻繁に脱皮を繰り返すということです。なかなか驚きでしょう?

 

また水も飲料用の真水と 体を洗う為の海水を用意しておくことも やどかりに健康でいてもらう為には重要なポイントだそうで、毎朝毎晩、我が家のペット好きが、これらの水を丹念に取り替えております。

ヤドカリワールドには、沢山の貝がありますが、実際ここに生息するヤドカリは2匹で 残りは、この2匹がお宿を変えたいと思った時のための予備なんです。(実は、これまでに天国に旅立って行った、諸先輩ヤドカリの形見であります。)

 

 

 

実は今日の午後、2匹のうちの片割れ ポッパーちゃんが自分のお宿から出て、脱皮モードに入る前の兆候の砂堀を始めました。ヤドカリって宿がないとなんかへんてこな生き物よね。

 

こちらポッパーちゃんが使っていたお宿。もし脱皮がおこったとして、無事に成功した暁には、どのくらい大きくなるのかしら?そして次のお宿はもう決めているのかしら?

ヤドカリワールド、なかなか魅力的でしょう。

宗教について

この国では、パーテイーや公共の集まりなどで宗教の話をするのはタブーだと聞く。 この理由についての私なりの意見は、極端な考え同志がぶつかりあったりすると、その場の空気を濁すからなんだと思う。

我が一族は、基本的にカトリック家族だけど、数件は義理の妹(ようは家族以外の通称お嫁さんと呼ばれる人)のプロテスタント系であったり、我が家は、私が神道/仏教でトニーはカトリックの教えを受けた、どこにも属さない人であったり、、、、この一族の中で宗教の話をしても、結構ぶつかり合いがある。 大抵は、プロテスタントVSカトリックって言うのが主だけど、時折私が口を滑らせて、前世や生まれ変わりのこと等話してしまったひには、そんなこと信じているの?と野次が飛んでくる。それこそ、「私の考えで、あんたに押し付けるわけではないので 放っといてくれ!」である。だから、タブーなんだな。

だけどやはり他人の宗教って気になる人が多い様で、先日、アクロンの町の国際交流ボランテイア団体の年初めのデイナー会に招待され、日本についてのスピーチを行なった際、とある男性が申し訳なさそうに、

「日本人の宗教観について聞かせて欲しい」

ということになった。私の気のせいかもしれないけど、私が宗教について話し出すと、身を正して聞く人が多かった様に感じた。皆知りたいんだな、、、、

日本人が宗教に無関心というのは、欧米諸国では常識的な知識ですが、どこかの教会に属すことによって社会とのつながりをもち、子供の道徳教育も宗教を介して行なって行くという考えが未だ過半数を締めているアメリカの人々にとっては、教会にも行かない、宗教は?と聞かれれば平気で「無宗教です」と応える日本人が不思議でたまらないようなのだ。ある意味無教育者と同等の扱いにある。

参考までに、この国で自分を無宗教ということは、かなり勇気のいる行為なんだそうです。とある小さな町で実際にあった話だけど、学校で自分は無宗教者だと言った子供の家族が、気違い扱いされ、町内いじめにあったという話も聞いた事がある。

この質問に対して、もちろん前置きに、あくまで私の主観的な意見と言うことを強調したうえで、こんな風に話して来ました。

一旦日本から離れて暮らしてみて、アメリカ人的な感覚も若干は身につけた上で日本人の宗教観を考えると、日本人程宗教熱心な人はいないのでは?と強く思うんです。 一般的に宗教熱心というと、毎日お祈りを捧げて、ある時期が来たら断食して、毎週教会に行って、神様に誓いの言葉を述べて、、、、というのが西洋的な発想。 でも私が日本に帰ると、まずはお仏壇にお線香を上げて、亡き父とご先祖様に帰国の挨拶を行ない、毎朝欠かさず、お茶と白米をお供えし、綾花がランドセルを背負って日本の学校に登校する時には、お仏壇の前でも「行って来まーす」と挨拶し、春と秋のお彼岸にはお墓参りに行き、お盆には迎え火を焚いてご先祖様を迎え入れ、その間は虫や生き物は殺さず、またお盆の最後の日には送り火を焚いてお別れをいいます。旅先で見かけたお地蔵様には、自然に手を合わせ、神社があればお賽銭を投げて手を合わせたり、、、、個人差はあるにせよ、私達の宗教は余りにも生活に密着しすぎて、宗教という事を意識するレベルを超えてしまったのではないか、、、、というのが私の意見。

諸外国の様に、常に信仰の自由を脅かされる様な状況に日本がなかったのもあって、私の宗教はこれ!と線を引く様な行為をしなかった分、宗教とは?と考えることがなくなってしまっただけの話だと思う。 ある意味、理想的な信仰の形と言ったら、余りに自意識過剰かしら?

私はたまたま日本から出て、宗教についての意見を強く持つ家族の中にいるので、自分自信の信仰について具体的に考える機会があるので、仏教/神道が自分の宗教と言えるだけで、「無宗教です」という日本人の多くは、案外宗教的な儀式を知らない間に生活の中で行なっていることが多いはず。

スピーチでの質問には、このような内容の話をしましたが、多くの人が深く感心を示されていました。特に仏壇については、大抵は各家庭に備えてあるという事実を知ると、なんと宗教熱心な人々なんだ!と驚かれ、また欧米とは違った宗教観について理解をして下さったことが、私にはとても嬉しかった。そしてこの質問をされた当人は、

「僕も長い間、日本人が無宗教ということに関しては、深く疑問を抱いていたんだけど、あなたの話でその謎が解けましたよ。」

と、充実した面持ちだったのが何とも印象的でした。