シカの季節でーす

巷ではサンクスギビング明けの月曜から、シカの繁殖期に伴って、車の走行中のシカとの接触事故注意のお知らせをよく聞きます。

シカは繁殖期に入ると、周りの状況等おかまいなしに雄シカが雌シカを追いかけ回すので、この時期は走行中の車としかとの接触事故の数が非常に多くなるんです。知人から聞いた話ですが、シカとの接触事故を起こすと、もしシカが死んでしまった場合には、シカの死体の始末までもが、接触者の責任とされる為、たいそう面倒らしいです。なので、こういう事態に遭遇したくはありませんよね。

ところで、シカの繁殖期とともにシカ狩りのシーズンも始まりました。今日、高速道路で車を走らせていたら、お隣にこんな車が走っていました。(写真参照)走行中に写したので、いまいちピントがあっていませんが、恐らくシカ狩りでとらえたシカを積んでいる車です。ちょっと可哀想ですね、、、、、ちなみに、一般的に狩りでしとめられたシカは、食用にされるんです。トニーの会社の同僚一家は、6人の子供のいる大家族。彼の家では、毎年シカ狩りでシカを捕らえて、(1猟師につき1頭までしか捕まえられません)食肉用にさばいて、巨大冷凍庫で保管して置くんですって。狩猟民族の血は、まだまだ健在ですね。

9歳児 〜自分探し〜

ここ数ヶ月、鏡の前に立って 髪を整えたり色んな表情を作ったりして何十分も過ごす事が多くなった9歳の綾花。そろそろ自意識というものが芽生え始め、他人からどのように見られているのか、、、なんて言う気持ちに支配される時期に入りつつあるんだろうな。

こんな最近の綾花を見ていると、ノーマンロックウエルさんの作品「鏡の中の少女」という絵を思い出してしまう。雑誌の中のビビアンリー(多分ね)の写真と鏡の中の自分を見比べている女の子。この子も、綾花と同じくらいの年代なのかしら? この絵の描かれたのは、多分1950年代だと思う。それから60年経過した今でも、綾花ぐらいの年頃の女の子達は、鏡の中の少女と同じ様に、鏡を覗き込んでは、自分ってなんなのか?の不思議な時期を経験している。時代はかわっても変わらないものがあるって、なんかちょっと安心。

そういえば私も、小学校高学年の頃、頻繁に鏡を覗き込んでいた時期ってあったような、、、いやいや中学生になってからだったかな、、、

Education

綾花が公立校に通い出して3ヶ月が過ぎようとしている今、私が感じる以上に綾花も教育について色々感じるところがある様で、かなり客観的に ”教育” についてを語る機会が多い。

先月の先生との面談の際に、通常モンテソーリ教育上がりの子供達は、タイムマネージメントが苦手で、集団生活に馴染める様になるまでかなり長い期間が必要になる事が多いのだけど、綾花はその点、特に問題ありません、と言われ、モンテソーリッ子のレッテルみたいなものを改めて感じました。この言葉は、知識の高い人たちの間ではよく聞かれる言葉ですが、私はこういう言葉を発する人の、物事の本質を見極められない創造性の乏しさにお情けを感じてしまいます。

モンテ教育に対するレッテルは、綾花も最近感じる様で、

「私がこれまでモンテソーリの学校に通っていた、というと みんなは私をバカかアホだと思うんだよ。だからもう、モンテソーリに通っていたって言いたくないの。」

などという事を言い出した。まあね、これも教育の本質を見極められない親の影響で、子供達も親の言葉をそのままコピーしているだけなんだろうけど、、、、 でも、もっと驚いたのは、綾花の次の言葉

「でもね、私モンテソーリに通ってよかったと思うよ。だって今やっている算数は、私が2年前にやったことなのに、沢山の友だちが「むずかしい、むずかしい」って大騒ぎしているし、サイエンスの勉強も、だいたいの事は、ミスキャロリンがお話してくれた事だから、私にとっては、始めての事ではないからね。」

綾花なりの考えではモンテソーリは、個人個人が独立したペースで勉強するから、この教科でここまでやったって言う感覚はないけど、気がついたら色んなことを知っていた、ということだそうです。

全くをもってその通りで、モンテでは勉強した事に点数をつけられる事もないので、何のプレッシャーも感じずに知識を自分のものに出来、学習する事=知る事なので、テストには出ないからこれ以上勉強する必要はない、、、、なんていうナンセンスは子供の中にはなくなって、知りたい事をとことん追求していける習慣が身につく結果、公立校の様に時間時間で区切られる条件下に入ると、それについていけなくなってしまうんですよね。

集団についていけないってことは、確かに問題があるかもしれません。特に、集団での行動を強要される条件下では。私がこれまでモンテの学校で見て来た子供の多くは、自身のやりたい事への興味が強すぎて自分をコントロール出来ない結果、モンテに通っているという子供が多かったかもしれません。でもどの子供も、ある一面においては、かなりオタクな感じで、こういう子供達と接するのも非常に興味深いものでした。では、こういう子供達の将来は、集団についていけないというだけで、危ういものになるのかと言えば、そんな事もない様に思えます。というのも、現在アメリカで活躍している企業、アマゾン、グーグル、アップルの創設者は、皆モンテソーリ出身です。彼らは幼い頃から、時間的、空間的、精神的自由を与えられた環境で物事の真髄を追求する訓練を受けてきたから、新しい発想で企業を興せたんだと思います。

誤解のないように付け足しますが、今日私が書きたかったことは、公立の教育を批判する訳でもなく、モンテソーリを高く評価するのでもありません。色々な特質を持つ人間がいる事は誰もが否定することが出来ない様に、教育も色々な形があっていいということです。ただ一般的には少数派というのは、大多数派からは白い目で見られることが多い様に、そんな状況をひしひしと感じずにはいられないと、、、、

50歳の心境

ここ数ヶ月、恐ろしい程の早さで日々が経過しています。そして気がつけば、私も50歳、、、、、、いやいや、それはうそ。

本日、義理の兄の50歳の誕生日を祝って、久々に一族でレストランに集まった。私とトニーの結婚が決まって、結婚前にアメリカに来た時に、家族全員がレストランに集まって食事をとった時にもその数に圧倒されたけど、今回の総勢人数は、その時よりも8人近くは増えている。我が一族はまだまだ進化過程、、、といったところでしょうか。

ところで、トニーの兄弟と配偶者の中でも一番先に50歳になった義兄に

「50歳になって、何か大きな変化はあった?」

と聞いてみたところ

老眼、肥満(昔は食べても太らなかったのに、今は、食べれば即体に表れるらしい)、昼寝が必要などなどは、40代前半に大きく変化したけど、体調に関しては40代後半からは、あまり変化を感じられないということだ。その代わり、今は、自分は人生で何か大きな事を成し遂げたのか?というようなことをよく考える様になったと言う。人生も半分以上は終わってしまったので、そろそろ良い死を迎える為に、精神的に向上していく時期なのかな、、、、、と

どちらかと言えば、そういう考えとは程遠いイメージのあった義兄だったので、彼の口からそんな言葉が出てくるのもなかなか信じがたかったのですが、人間って成長し続けるものってことなんでしょうね。そうは言っても、その義兄には、11歳と8歳の子供がいるので、普段の生活では、まだまだ ”死” なんて事を言ってる暇もなさそうです。

 

でも、老眼云々の体の衰えは、40代前半だったっていう義兄の言葉、40代前半の私には、妙に納得です。これから数年、まだまだ衰え続けていくのは覚悟しておかないといけませんね。

千羽鶴の行方

もう半年以上も前の事だけど、昨年在籍していたモンテソーリスクールの小学校の子供達13人が、日本のあの大震災の後、2ヶ月かけて千羽鶴を折り上げました。その千羽鶴をどこに送ったらいいのか、先生から相談を受け、色々考えたあげく、綾花が夏に体験入学でお世話になった小学校の教頭先生に相談した所、その小学校は、特に震災の被害もない地域ですが、ひとまず受け取りましょう、という事になりました。

そして先日その小学校の先生からお手紙が届き、千羽鶴についてのコメントがありました。 その小学校では、宮城の震災にあった学校へ、教職ボランテイアとして3人の先生を派験したそうですが、その先生方が、私達が送った千羽鶴を宮城の小学校まで届けて下さったそうです。 そして、思いも寄らないアメリカからの千羽鶴の励ましに、その小学校の子供達はとても喜んでくれたという事でした。

最初は、宛も無く折り始めた千羽鶴ですが、海を渡っていくつかの地点を経由して、一番思いを届けたかった場所に届けて頂いて、本当に嬉しく思います。早速、モンテソーリの先生に報告しなければいけませんね。