私の考えるモンテソーリ教育について

来月9歳になる綾花ですが、最近の口ぐせは、”Don’t babying me!” と 「子供扱いしないで」というのがお得意です。Tシャツの下から下着がはみ出しているのを何気なく直すと、つかさずこんな言葉が返ってくるんです。そろそろ、親の用意した巣の中から出て行く準備を始めたようです。

ところで、本日は、学校毎年恒例のインターナショナルフェステイバルが行なわれ、様々な国籍のバックグラウンドをもつ子供達による、コンサートがありました。プリスクール(2歳半から4歳)、キンダー(5歳)、小学生(6歳から9歳)のクラスごとに、色々な国の歌をその国の言葉で歌うのですが、小学生たちは、振り付けや演技も加えて、会場にも大きな笑いを巻き起こしていました。

今年は学校こそ変えましたが、綾花が3歳半から通い続けたモンテソーリスクールの最後の1年ということは、前々から分かっていたことですが、今日のコンサートを見ていても、本当に名残惜しい気持ちでいっぱいです。

(色々な国衣装をまとって舞台に立つ子供達☝)

同じクラスに在籍する日本人の子供のご両親とも話していたのですが、(彼らの場合は完全な日本人ですが)アメリカで暮らす日本人としてのバックグラウンドをもつ子供達にとって(他国籍の場合でもそうですが)、日本人であること、そして日本の文化に敬意を示してくれる環境に、特に子供が幼い頃におくことは、子供達のなかに自尊心を育てる上でとても大事なことで、そんな環境を自然に用意してくれるのが、モンテソーリの凄い所だと、そんな事を改めて確信しました。

モンテソーリ教育というと、ヒッピーだとかお勉強一途だとか、変わった目で見られがちですが、私の意見では、”独立した人間性を養う場” だと思っています。またモンテッ子は協調性に欠けるともよく聞きますが、こういう言葉を発する人々の考える協調性というのは、共感性なのではないかな?とも思っています。協調性とは、独立した個人が得意なものをしっかり持ち、社会が円滑にまわる為に、自分自信の役割を社会に提供することと言うのが、私の意見です。だから世の中には、医者もいる、先生もいる、母親もいる、ゴミを集める人もいる。それらのひとつでも欠けたら、世の中は上手くまわらないんです。また、それぞれの役割を担った人々に対して、自分の出来ないことを補ってもらえることに敬意を持つこともとても大切だと思います。まさに、字のごとく 協力しあって調和させるということです。 私がこの5年半、モンテ環境を見ている限り、モンテソーリの教育現場では、小さいながらもこのような社会が存在していました。

今学年1年だけ通った、今の学校では、以前の学校以上に多くの、他国籍の子供達がいました。そんな環境だったので、綾花の日本の文化に敬意を示してもらえると共に、綾花も他の国の言葉、食べ物、習慣などいろいろ知って、知識の幅が一段と増えました。でも最終的には、子供は子供で、遊ぶ時にはそんなことほとんど構いはしないんですよね(笑)。

世の中のグローバル化がどんどん進んで行く現在、トニーの職場の話を聞いただけでも、様々なトラブルがあります。そんな話を聞く度に、経済的にグローバル化されても、人間の感性がグローバル化について行けていないんだなあ、、、、と感じます。世の中のグローバル化については、私は余り賛成ではありませんが、それでも、そういう感性を子供達に育てるのも、今の時代とても大事なことではないかな、、、そんな点においても、モンテの環境はある意味、理想的なものだったと思います。

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