パターン学習にまつわるお話。

 子供は、3歳くらいまでは、パターンで覚えるという特徴を備えているとは、昨今の幼児心理学書でよく目にするお話だ。 私は、パターン教育という言葉を知ったのは、2、3年前の事で、綾花に実践してはいないものの、今振り返ってみると、彼女自らパターンで学んだ体験には、思い当たり節がある。

 

 12ヶ月のころ、綾花は、クリブで寝る習慣があった。クリブの手すりに、キリンのぬいぐるみをぶら下げておいたのだけど、このおもちゃには、とある仕掛けが施されていた。キリンのお腹の辺りに、赤ちゃんの手で握られる程のハンドルがあり、それを引っ張ると音楽がなる様になっていた。 で、ある時から、朝起きると、このオルゴールをならして、自分が目覚めたよ!とお知らせしてくれる様になった。 余談ですが、この頃の綾花は、キリンを引っ張ると、ドアの方じーっと見入って誰かが来るのじっと待っていたのだけど、我が家の犬のブレイデーも、同じような行動を起こすのだ。トイレに行きたい時には、ドアノブに吊るしてあるベルを鳴らす。そして、私のいるところまできて、私の顔をじっと見る。犬の脳と1歳前後の子どもの脳は、同じくらいって事なのだろうか?

 

 その他にも、歩き始めたばかり頃、近所の公園にて、傾斜になっているところを、ひたすら下る行為を何度も繰り返していた事もある。坂を下る時の足の力の入れ方が普段歩くのと違うとか、そういう事が存分に楽しんでいたのだろうか? また、1歳4ヶ月でリンゴ狩りに行った時、リンゴを一口かじっては、地面に落とし、それを拾ってまた一口食べ、また落として、、、、と永遠に繰り返していた。 音楽を聞くのも、1曲を100回くらい繰り返し聞きたがる癖は、4歳近くまで続いていた。 絵本の読み聞かせは、2、3歳代では、1晩に1册だけ、でも20回連続で読まされるのが普通であった。

 この繰り返し行動(私はおたく行為と呼んでいた)=パターン学習と言う事だと、私は理解している。で、幼い子供達をこれ程に虜にする繰り返し行動は、やがては、論理性を生み出して行くのだと思う。丁度、学者が、何度も何度も実験に失敗した後に、何か大きなものを発見したり、発明したりするのと同じようなことでは、ないだろうか? 面白い例では、石井式漢字教育が挙げられる。このメソッゾは、生後6ヶ月くらいから、漢字のカードを赤ちゃんに見せて、その読み方を言う。という繰り返しを行うのだけど、子供が幼ければ幼い程、画数の多い込み入った漢字をより覚えるのだと言う。そして3、4歳になる頃には、それまで吸収した知識を、自然にまとめる行為が見られるのだと言う。例えば、さんずいのついた漢字は、水に関係する言葉、とかそんな風に。これは、論理性の芽生えの証である。(ところで、このような発見を自らしたものと、誰かから教えられた、という違いは、非常に大きいものだと思う。あくまで、科学的根拠のない私の意見ですが。)

 

 以上が、パターン学習についての私の認識であります。 ところで、このパターン学習というものがこの世に出始めたのは、いつの頃なのか分かりませんが、これを別名右脳教育ともいいます。で、この右脳教育の根本的な内容を伴わないまま、右脳教育というものだけがこの世に出回り、社会に悪影響を及ぼしたりもしています。 右脳教育(パターン学習)は、赤ちゃん期に必要とするものである事をしらぬ親や教育者達が、こぞって、4、5、6歳の子供達に、国旗やら国名やらを覚えさせたりして、それが全部言えたら最大に褒めると言う教育に熱心に取り組んだりするのも、少なからず聞き覚えがあるのでは、ないでしょうか。 実は、論理性の芽生え始めた子供達にパターン教育を強いるというのは、物事を論理的に思考しようとする事を止めてしまうので、3、4歳からはじまり、8歳頃までに完成されると言う思考能力を作る機会を無くしてしまう恐れがあるのだそうです。

 この思考能力を作れなかった結果の惨事として、私の世代で最も印象に残っているのは、1997年兵庫県神戸市で起こった「酒鬼薔薇聖斗」事件だと思う。 このお子さんを育てた母親の手記を読んでいると、彼は、昔から非常に頭の良い子で、何でも暗記するのが得意だった。そして暗記したことを大いに褒めてあげた、とあった。暗記したものの対象が何かは、今は思い出せないけど、実生活とあまり結びつかないようなものだったと思う。これだけが、この異様な事件を起こすきっかけになったとは、もちろん言い切れないけれど、人生において人格を形成し、社交性を形成する上での基礎と言える思考を育てる時期に、思考の発達を止めてしまうような学習法で褒美を与えられたこの少年の起こした事件は、間違った右脳教育の施行である様に思う。