世間のお母様方、朗報です!

 突然ですが、私には、誇れる学歴、職歴、趣味暦というものが全くありません。あえて言うなら、放浪歴(肉体的にも、精神的にも)が唯一 面白おかしく語れる程度ってところでしょうか。 アメリカに来て以来、仕事もしていない、これからする予定もなければ自信もない。 でも一応充実した人生を送っているのは、子供がいて犬がいて、それらを対象に色んな壁を乗り越えることを目標にしているからだ。子育てとか、犬の訓練とか知らない人から見たら、もっと自分の事を考えろよ!とか思うかも知れない。家の弟なんか、そんな事言う人々の一人である。

 母親兼主婦業というのは、社会的に見ても、かなり価値の低い職業かも知れない。なんと言っても、一見すると社会と直接結びついていないから。でも、一応、不動産営業を5年間した経験からいうと、母親業の方が、余程社会と結びついている。単に、金銭的な生産を見いだしていないので、煙たがられるんだろう。 しかし!こんな事言ってくれる人がいるんです。 耳を良ーく掃除して、聞いて下さいよ。

母親の役目は何にもまさる貴重なものです。母親こそ子どもをどんな人間にでも育てることができるのです。言葉をかえれば母親は偉大な芸術家であり、医者であり、牧師でもあります。そして何よりもすぐれた教育者であってほしいものです。母親は子どもを授かった瞬間からその子の人間形成にしかっりした目的意識を持ち、できるだけの環境を整えて子育てを実行することが大切なことと言えましょう。次の世代を担って立つ子どもたちがすぐれた人材に育つよう、世の中の母親一人ひとりに胎児から始まっている幼児教育の重要性をよく知ってほしいと思います

 

 この言葉は、ソニー創設者であり、教育者としても有名な 井深 大氏が残した言葉です。 井深氏は、人類の発展にとって、教育の大切さを強く訴えていた人物で、特に赤ちゃんを育てる母親の教育に力を入れた方であります。有名な本では、「幼稚園からでは、遅すぎる」「0歳、教育の最適期」などです。 幼児教育と聞くと、幼児への詰め込み教育とネガテイブな感想を持つ方もいらっしゃるかもしれませんが、これは、早期教育というものです。井深氏の訴える幼児教育は、鈴木メソッゾの鈴木慎一氏の訴えと非常に共通するものがあり、人間愛が基本となっています。幼児教育を推進する為に、母親への教育を施したその内容は、上に示した、井深氏の言葉に集約出来るものと思います。

 

 こんな言葉に出会うと、母親業とは、まさに次世代作りに影響を及ぼす、なんとも責任感の大きな職業だと思いませんか? 私のような、何の取り柄もない人間でも、こんな言葉に後押しされれば、まあ胸を張って生きて行けるというものです。

小児麻痺後のリハビリ、6歳児の理解

 綾花を育てていく上でのお手本人物として、私には、2人の偉大なヴァイオリニストがいます。そのうちの一人がイツアーック、パールマン。クラッシック好きでなくとも、この方の事を知っている人は、多いと思います。一般的に、記憶に残る所では、シンドラーのリストの映画の挿入歌の演奏者というところでしょうか?

 パールマンは、現存するヴァイオリニストの中では、最も著名であるとされていますが、演奏者としてだけでなく教育者としても非常に活躍されています。そして、パールマンを知る誰もが 彼の穏やかで暖かい人柄を強調します。以前、パールマンがセサミストリートに登場したのを見かけましたが、全く気取っていなくて、その辺のどこにでもいるようなおじさんなんです。

 その彼がなぜ、綾花のお手本なのかと申しますと、床屋の息子であった彼は、4歳頃からヴァイオリンに興味を持って習い始めるのですが、5歳のとき小児麻痺を起こし、体がほとんど動かなくなってしまったのです。それでも、ヴァイオリンを弾きたい気持ちが強く、リハビリにリハビリを重ね、今の世界で最も尊敬されるヴァイオリニストになった訳です。パールマンが、椅子に座ってヴァイオリンを弾くのは、小児麻痺の後遺症で、足が余り動かないからなのです。 鈴木慎一氏は、ヴァイオリンのお稽古は、子供達に生きる力を与える、という言葉を残しましたが、パールマンの話を知ると、納得せざるを得ません。たまたま、五体満足に生まれ、それを当然と思って生きている私たちですが、だからこそ 余計に努力しなければいけない、ということを、ヴァイオリンの教育をもって、綾花に伝えたいというのが私の願いです。

 昨日の朝食の際いつもの様に、パールマンの弾く小曲集を聴いていました。クライスラーの「愛の歓び」の曲になったとき、綾花に聞いてみました。「この曲は、なんか嬉しそうな感じだけど、パールマンさんは、どんな嬉しい事を考えながら弾いているんだろう?」。「この曲を弾いたら、練習がおしまいって、お母さんが言ったからだと思うよ」。「なるほど、そういわれると、嬉しいのか、、、、」 そして、その後、パールマンさんの小児麻痺のこと、リハビリを乗り越えて、ここまで弾ける様になった事を話してみた。「そういう経験があったから、今、ヴァイオリンが弾けている事が、すごく嬉しいんじゃないかな?」。すると、話題は、小児麻痺についての質問へと移行していった。「小児麻痺って?」「リハビリって?」。そういう事を理解する事のほうが、子どもには重要らしい。 そこで、「ある時、すごい熱が出て、手も足も動かなくなってしまったんだよ。」というと、「知っている、その病気!」(ほんとかいな?) 「くまのぷーさんが、風船につかまって1年間空を旅した後、手が下がらなくなったお話があったよ。」「それで、ぷーさんは、一生懸命腕を曲げるために力を何度も入れて、最後にやっと普通に戻ったんだよ。」綾花にとっての小児麻痺の後遺症とリハビリとは、そういう事らしいです。

ピカピカの1年生!でもないか、、、、

 日本では、小学校に入学と言えば、タイソウな話ですが、家の場合は、なんだかごくごく普通です。入学式もないし、オープンハウスにも出席しなかったので、学校に通い始めるまでは、小学生という自覚もほとんどなかったんです。

 そんな風に、小学校生活が始まって4日が終了。既に小学生としての自覚が 綾花の中に芽生えているのが、ひしひしと湧いてる様子が伝わって来ます。 綾花の担任の先生は、今年から新しく就任された先生なので、どんなスタイルで教えて下さるのか、全くわからなかったのですが、ここ数日 綾花から話を聞いているのと、お迎えの際のちょっとした会話の中から、綾花にとっては、非常に理想的な先生の様に感じられます。この先生、20年間のモンテソーリ教員としての経験があるとの事ですが、モンテソーリ公認の学校でなく、あえて、我が校を選んだのは、校長先生が週末にボランテイアで行っている、メデイテーション講座に共感を持たれたからだといいます。(実は、私も4度目の流産の際に、このメデイテーションで精神的な立ち直りをサポートさせて頂きました。) 

 この先生、ミスキャロラインは、穏やかで暖かみあふれる雰囲気でありつつ、非常に厳格であり、綾花は、1日目から先生に与えられた”最低限の規則”というものを意識する様になりました。 また、毎週金曜日には、来週の学習内容の予定を自分で作り上げる、という規則が大のお気に入りの様で、今日は、張り切って学校に出かけていきました。現在、綾花のクラスには、1、2,3年生が合計19名在籍しています。同じ教室内で時間を共に過ごしつつも、皆違った作業に取り組むのが、この学校の特徴です。綾花は、気になる3年生のお姉さんの学習内容を、ちらりちらりとみていて、学校が終わると、「今日は、ソフィアは、あんな事していた、こんな事していた」と私に報告して来ます。この年頃の女の子は、異性より、ちょっと上のお姉さんに恋するんですよね。綾花の目が、♡になっている姿が想像出来て、なんだか微笑ましいです。

夜中の珍客

 人生長い事経験すると、へんてこな事件に遭遇するものです。

 先に申し上げますが、我が家は決して危険な地域にすんでいるわけではありません。 どちらかと言えば、アクロンの中では、事件とは余り縁のない地域であります。(後に登場する 我が家に来た警察官も この地域からの通報なんて非常に珍しいと驚いていました。)

 では、何が起きたかと言いますと、、、、、それは、我が母上との長電話が終わって、一息ついた午後11時15分頃。トニーは、ソファーで寝転がってテレビを見ていました。その時、ドライブウエイで車が何度も出入りするような音のの後、車のドアーがしまる音がしました。そして玄関の扉が開いたと言うわけです。でも、特に驚きもしませんでした。なぜって、ホームステイ中の学生さんにお渡しする 予備の鍵がなかったので、ここ数日間は、玄関の鍵を開けた状態でいたのと、その時外出中の彼女が戻って来たからだと思ったからです。

 先に異変に気がついたのは私。なぜって、トニーの寝ているソファーは、玄関に背を向けてあるため、トニーには、入ってきた人物を見ることができないから。私は、玄関に向かい合わせに置いてある椅子に座っていたので、いきなり入ってきた男の人を見て、まず思ったのが、「ケビンのお兄さんだ」。ケビンは、近所に住むトニーのいとこで、そのお兄さんは 家族のイベントでしかあった事がないけど、私には、同じ顔に見えた。 私が、「トニー、いとこが来たよ」というと、やっととにーは起き上がり、しばし呆然。それは、見た事もない人が 我が家の玄関に座り込んで、ブレイデイーをなでている。そしてブレイデイーは嬉しそうに尻尾を振って、見知らぬ男の人の顔をぺろぺろしている(おい!番しろよ!) しばし間が空いた後、「あんた誰?」とトニー。「ぶふゃ。。。。。」。「あんた誰?何しに来たの?」「でひゃ、、、、」。その彼、お話しにならないくらい酔っぱらっていた。で、「ここは、あんたがいるべき場所じゃないから、今すぐ出て行ってくれたまえ」と命令調に何度か訴えると、やっと出て行ってくれた。名残惜しそうにしていたのは、言うまでもなくブレイデイーだ。(そいつについて行くか?)

 

 なんと言うか、平常でないことが起こった割に、私達夫婦は、非常に冷静でした。というか、いきなりこんな事になると、逆にパニックになんかなれないと気がついた。で、「警察に電話した方がいいんじゃない?」と私の提案に、「そうだな、あれだけ酔っぱらっていて運転したら、絶対に危害を加えるからな」と、早速電話した。しかし、命に関わりのない事件だと、警察って後回しにするもので、やってきたのは、20分後。その間、我が家のドライブウエイには 彼のものらしき車が止められていたものの、中に彼がいるのか、それとも歩き去ったのがの確認は、一応、身の危険を考慮して行なわなかった。 そんなおり、ホームステイの学生さんが戻ってきて、彼の車の後に駐車し車からでてきた。あわててトニーが外へ出て、彼女をエスコートして家まで誘導した。その際に、車の中ですっかり眠り込んでしまった彼を確認。

 待ちわびた警察がついた時には、警察は、我が家のドアをノックする前に、車の中の男の調査にかかっていた。彼は、寝ぼけ眼で「友達の家に遊びに来たんだ」と言ったそうで、警察に挨拶をするや否や、「この男、本当に知り合いでないのか?」と確認されました。私には、どーもケビンのお兄ちゃんに見えるけど、いとこであるトニーが絶対に違うというので、違うんだろう。で、パトカーの後部座席で心地良さそうに眠ってしまった彼の運転免許証を探ったところ、明日は、彼の30歳の誕生日だと言う。 道理で、水曜日にこんなへべれけになるまで飲んだわけだ。しかし、30歳の誕生日に 目覚めたらジェイルだったなんて、なんて不幸な人だろう。 ちなみに、警察がくるまでの間、トニーとこの人が水曜日の晩に酔っぱらった理由を色々考えていた。そこで2人の意見が一致したのは、きっと会社を首になり、やけくそなんだよ。という事だった。それが誕生日とはねえ、、、、事実は、小説より奇なり。

 当初警察は、彼が探し求めた家の番地が分かれば、彼をパトカーで運び、車も警察官が運転して、そこまで連れて行こうとしていた。こうすれば、彼はジェイルに行かずに済むし、酔っぱらい運転の罪も課されない(ちょっと腑に落ちないけど)。そんな考慮もむなしく、彼は、ひたすらレム睡眠を続けるばかりであった。そこで、ジェイル行きが決定。車もレッカーで持ってかれてしまう。まあ一つだけ運の良かった事は、酔っぱらい運転の現行犯ではないため、その罪は課されないようだ。

 

 それにしても、ブレイデイー!お前が番犬にならないってことは、薄々気づいていたけど、まさかこんなにフレンドリーになってしまうなんて、ちょっとショックすぎるぞ! なんとかしてくれ、その性格。

ドギーパークにて思う事

 本日の夕食は、久々の外食。ここ2週間、ホームステイの学生さんがいるので、3食の準備に追われ 気分的に大変でしたので、ちょっとおやすみをもらうことにしたんです。で、夕食の後は、皿洗いの仕事もないので、かなり時間があったため、久しぶりに、ブレイデーをドギーパークに連れて行きました。ドギーパークって、犬の訓練としている身、そして子育てしている身としては 非常に興味深い場所です。それは、犬と飼い主の関係って、親と子どもの関係に非常に似ているからです。

 犬と人間を決して一緒にしては、いけない事など百も承知の上ですが、ドギーパークにくる犬達の社交術を見ていると、結構、人間社会と共通している部分があるんです。 例えば、今日の場合、非常に怖がりなビーグルがいました。このビーグル、他の犬との交わりが恐ろしい様子で、かなり端の方でしっぽを両後ろ足の間に挟んでいました。 そしてその2メートルほど後ろには、飼い主が、いつでも助けてやるぞ!といわんばかりに見守っています。そして、ビーグルに4メートル程でも近づこうとする犬が現れると、飼い主は、ぱっと抱き上げ 犬をかばうんです。この犬、飼われはじめた時から、若干はシャイだったのかもしれません。でも ここまで重傷にしたのは、まさにこの飼い主です。幼い頃に多少怖がるようでも、他の犬と交わる経験をさせておけば、ここまでしっぽを丸めて脅える状態には、至らなかった事とおもいます。人間でもそう。幼い頃から、親が気を回しすぎて、危険な状況や もめ事などから回避させていると、大きくなって人と交わるのが億劫になってしまう人間になってしまったりする。

 本日のパークのメンバーは、ヤッピー系のポメラニアン、ヨーキーが2匹、社交性あふれるスポーツ系、ラブラドール、ゴールデイーが4匹、箱入り系のプードル1匹、ジャイアン系ロットワイヤー1匹、そして我が道を行く系のビーグル2匹(家のも含む)でした。 そして、例のシャイなビーグルに興味をもって近づいていったのは、我が家のミスターオバカ、別名ブレイデーであった。他の犬達は、全くの無視です。「あんなやつ、やってられないぜ」って感じで、ワイルドに遊んでいたのは、ラブラドール、ゴールデイーたち。これらの犬は、いつでも楽しそうにあそんでいます。我が家のブレイデーは、この公園に行くと、まず一通り匂いを確認、そして木とか草とかにオシッコをかけて、それが終了すると、遊び相手を適当に選んで、そこに入っていくのですが、やはりビーグル系ということで、ビーグルに目がついたらしい。舌を口の横からたらりと出した、バカまるだしの顔で、思い切りビーグルに向かってダッシュ。すると、既に硬直状態になってしまった、ビーグル。そしてそれを見逃す事もなく、一瞬の間に抱き上げる飼い主。(お見事でした。) 目標を見失ったブレイデイー(自分の目の位置以上の視野は、存在しないらし)は、さっきまでビーグルがいた場所に鼻をくっつけ、匂い追いに没頭。その数メートル先で、「こんな野蛮な犬に、僕のかわいいビーグルを触れさせるものか」と言った表情でブレイデーを眺める飼い主。 結びは、トニーの一言。「あの飼い主、重症だね」  この飼い主は、彼の態度を変えない限り、この犬は、一生すべての物に脅え続ける運命を逃れられないのです。不幸な犬である。

 さて、目標を見失っても、特に何も不思議に思った様子もない、本当にオバカなブレイデーは、楽しく遊んでいるラブラドールにちょっかいを出しにいきました。ブレイデーの悪い癖は、とにかく他の犬にマウントしたがること。「お前は、いつもそのことしか頭にないのか?」と言いたくなる程、マウントばかりしている。弁解というか一応参考ばかりに、犬の世界ではマウントするのは、上下関係を示すことが通常で、決してエッチな行為では、ありません。ブレイデイーの場合、マウントすることによって、自分の方が上の立場だとチャレンジしている訳です。しかしながら、ラブラドールの方が一枚上手で、「ガオー」という警告とともに、ブレイデイーの首を軽く噛みました。これは、まさしく犬の警告行為です。この警告に寄って、ブレイデイーは、彼へのマウント行為を繰り返す事は、ありませんでした。このラブラドールは、遊びグループの中心犬と言った感じで、やはり、リーダーシップがある様に見えました。その犬へのチャレンジに見事に負けてしまったブレイデイーは、そのグループに交わる事なく、またまた一人、匂いを嗅ぐ旅に出てゆきました。その後は、ほとんどの犬が帰りかけた頃にやって来た、ポメラニアンの子犬に追いかけられたのを機に、その子犬と5分程遊んで家路につきました。

 

 

漢字カルタの活用術

 夏休みも終わり、今日から学校が始まりました。綾花の通う学校は、本日から通常通りの学習ということで、学校終了後の綾花の表情を見ていると、すっかり気合いが入った様子でした。なんと言っても、彼女は、今年からエレメンタリー(小学生)です。同じ教室内には、1年生から3年生までが共に学ぶので、すっかり大人になった気分なんでしょう。その証に、これまで、残さず食べて来た事などなかったランチが、今日は、空っぽでした。そしてなんと、ランチタイムは、昨年までの1時間から30分に減少。やはり、短時間で食べきるには、気合いですな。ははは。 でも、なんだか緊張しているって感じもして、そのうち体を壊さなきゃいいけど、、、、

 さてさて、夏休みの間は、思いあまる程時間があったので、毎日たらたらとでしたが、ヴァイオリンと漢字の練習は、続けて来ました。これまでの漢字の学習は、1年生で習う80文字の手作り漢字カードから 新しい漢字を選び、その漢字の書き順、読み方を教え、練習するというものでした。が、これは、私が横について見ていてやっていた事なので、学校が始まって、帰宅が4時過ぎとなると、つきっきりというのは、なかなか難しい。朝は、既にヴァイオリンの練習の時間に充ててある為、漢字の練習は、不可能。そこで、しばらくは、読みの練習に当てることにしました。

 以前からあった、漢字カルタ。これは、1年生で習う漢字のうち59文字が使われています。これまで習ったものもありますが、それは、おさらいということでよしとします。

 このカルタ、赤札に漢字がかかれ、青札に漢字の成り立ちや、漢字を使った文章をが書かれています。青札の文章内の漢字には、ふりがながあるため、音読として練習させることも出来ます。私が考えた、綾花の1人学習法として、適当に赤札を4枚用意し、それと同じ漢字の青札を探させて、文章を音読する。という事にしました。これなら、私が夕食の支度をしている時に、カウンターで出来るし、私も「次は、『手』の文を読んで」など、指示も出しやすいです。59枚の札を制覇するまでは、しばらくこの手で乗り切っていこうと思います。そうしているうちに、親が付きっきりでなくても学習出来るアイデイアが浮かんでくる事を願っております。

タイムマシン

 半年程前の事でしょうか、アメリカのサイエンス関連ニュースでちょっと話題になった、「未来からやって来た男」の話をご存知の方は、いらっしゃるでしょうか? この半年、私は、彼が本当に未来からやって来たのか、非常に気になっていました。というもの、彼は、未来からやって来たと言う主張を証明するものとして、2008年の北京オリンピックは、開催されない、と言っていたからだ。でも、開催されたじゃないか!しかも、もの凄いスケールの開会式のイベント。私のアメリカ人家族の一人は、あの国が、アメリカを占領すると言って乗り出してきたら、僕は、間違いなく逃げるね!といった迫力であった。

 

 さて、タイムマシンと言えば、最近見た番組では、アインシュタインの相対性理論から考えると、未来へのワープは、可能という事である。なんでもわたし也の理解に寄ると、(ちと怪しいか?)光の早さで1年間宇宙を旅して地球に戻ると、3年後になっているらしい。これは、光の早さで言う所の1秒と、我々が認識している1秒の長さが違うんだとか、、、、で、この理論から考えると、未来へ行く事は可能であっても、過去へ行く事は、不可能なんだと。ということは、冒頭に述べた、未来からやって来た男、全くの嘘っぱち!なのだ。

 

 さて、さて、こういう事を書いている私ですが、実は、普段考える物事では、科学的な事への興味は、ほとんどない。ただ、こういう事が好きなトニーが、こういう話題を見つけてくるから、野次馬的に真相を探ってみたくなってしまうだけなのだ。 では、普段の私の興味と言うと、感情的、芸術的なものが大きな対象になる。そして、今の私は、特に過去への旅を試みている。夏の音楽のお勉強、ベートーベンに続いて、先生にお願いしたのは、ドボルジャークでした。私は、音楽の論理性よりは、作曲家の感情を探りたい気持ちが大きく、先生も若干はそんな私の気持ちを汲み取って下さり、特に、ドボルジャークにつては、文献に残されている彼の半生のなかでも、感情的に重要と思われる点を抜き出して、私に読んで下さった。(英語の文献を読んで下さるのは、非常に有り難い)シンフォニー9、日本では、家路として有名な曲に、過去の歴史とわずかな彼の感情の情報を頼りに、音楽の裏にある物語を、自分也に作り上げていく、この過程が非常に楽しい。恐らく、正解と言う答えがないからこそ、夢中になれるんだと思う。 私は、やはり感性の人間であって、実際に可能性として考えられる未来への旅より、精神的に過去へ旅する事の方が好きです。

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