運命を感じるとき

 本日は、ちょっとばかり、変わり種の話。

 私は、人との出会いや関係など、偶然なものでなく、前世から仕組まれたものという事を信じている。ここ数年、日本では、江原なんとかさんの、「スピリチャルなんたら」っていうのが流行っているようだけど、私の信じているものも、そんな感じだと思う。これって、仏教的な考えなのかな?(カトリック家族で育ったトニーは、前世は、全く信じられないと言っているし。) では、なぜ 前世など信じるかというと、これまた、当てつけのようなんだけど、人間40年近く生きていると、気のあわない人間と、何故か、切れない縁が続く事があります。こちらとしては、関わりたくないのに、何故か、人の人生に踏み込んで来て、荒らして行く人(言い過ぎか?)。この人の存在って、いったいなんだろう? と考えたとき、私の中で答えとなったのは、前世で、私がした事を、今度は、私にしているのだ、ということ。 ようは、自分自身へのしっぺ返しなのだと、、、、だから、今世においては、その償いを行なって、来世では、もっと立派な人間になろうと。 そう考えるしかないってところから、私の中で運命論みたいなものが生まれた訳です。(まあ、こう考えでもしないと、腹の虫を治まらせる事が出来ない、未熟者の私だと言う事です。)
  
 こんな風に、運命を感じて生きていると、時々、「これは、まさしく運命なの!」って言う機会に出会う事もあり、このように考える事も、人生のスパイスというか、刺激があって、なかなか楽しいものでもあります。 私の中で、大きな運命を感じるのは、、やはりトニーとの出会いです。アメリカは、オハイオで育った彼と、日本の田舎で育った私が、出会って一緒に暮らしているというのは、本当に奇跡的に近い事だと思います。私の母にしてみると、「なぜアメリカ人でなければいけないの?」と言う事ですが、それにも何か理由があるのでは?というのが、私の思う所です。
  
 そして、昨日、「私がアメリカにきた理由というのが、これだ!」と思う出来事がありました。個人的には、非常に刺激的では ありますが、まあ他人が聞いたら、「ふーん」で終わる事なので、具体的には、書きません。まあ、何年かして、昨日の事を思う時の為に書き留めておきたかっただけです。
 
 そういえば、ベートーベンは、運命を「じゃじゃじゃジャーン」で表現しましたが、私は、「じゃじゃじゃジャーン」ではなかったですね。ちなみに、昨日の出来事を振り返って、私の頭の中にこだましたのは、Dvorak の「Songs my mother taught me」です。特に哀しい出来事でもないのに、なぜ、こんな哀しい曲だったのだろう? これも、いつか分かる日が来るのかな?
 

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