ジョイスおばさんと真珠湾

 私がまだ日本にいた頃、(かれこれ10年以上前)でも 「ホスピス」という言葉を 少ないながらも耳にしたことがある。 アメリカなどにある、末期のがん患者、余命の少ない病人などが快適に過ごせる施設のことだ。 私も、その存在自体は、知識上だけで心得ていたものの、実際に関わった事などは、ないので、ホスピスがいったいどんなものなのかは、分からない。
 本日、トニーのママからの電話で、これまで肺がんの為、化学治療を行なってきたトニーの叔母が、すべての治療を諦め、ホスピスに移ったと教えてくれた。 これは、事実上の危篤状態というものなのだ。 ママ曰く、余命は2、3日だという。「これまで科学治療で苦労してきたのだから、今こそ、すべてから解放されて、せめて快適な最後の日々を送って欲しい」という家族の願いだそうだ。 実は、私の父も、肺がんで3年前に亡くなっている。 遠い外国に暮らしていながらも、私は、綾花と2人、父の最後の2週間を、毎日見舞ってあげる事が出来、非常に幸運だった。

 ところで、私は、この叔母に対し、深い思い入れがある。 2年前に、私達家族がハワイ旅行に行くと決まった際、この叔母からメールが届いた。その内容は、「ハワイに行ったら、真珠湾に展示されている、ボウフィンという潜水艦の無線室の写真を写してきて欲しい」というものだった。 彼女の亡き父が、第2時世界大戦時、このボウフィンの無線技師として、ここにいたのだと言う。叔母は、生きているうちにここに行ってみたいけど、飛行機に乗るのが怖くて、今の所は、行けそうにないと言っていた。 
 この依頼を受けたとき、私もトニーも非常に戸惑った。 ハワイ旅行を決めた際、真珠湾観光は、避けようと言うのが2人の意見だったのだ。 歴史好きのトニーは、絶対に訪ねたい場所だったはずだけど、日本人である私の気持ちを尊重してくれたのだ。 なので、この叔母の依頼は、受けたものなのか、どうしたものなのか、非常に戸惑った。 それは、平和な時代に生まれ育った私でも、やはり、日本人が攻撃した場所に出向く事に引け目を感じていたからだ。 でも、この叔母の心からの依頼を思うと、「今こそ,このわだかまりを崩すときかも。」という勇気がわいて 結果的には、真珠湾を訪れる事となったのだ。(興味のある方、2005年11月12日のブログをお読み下され。) 潜水艦ボウフィンの無線室と、叔母の父が愛用していた椅子の写真を写し、叔母に渡した時には,叔母は、泣きながら喜んでくれた。 この時に、私は、「真珠湾についての、あのわだかまりは、なんだったのだろう。」と、改めて、平和な時代に生きられる自分を幸福に思ったのでした。 こんな体験をした2ヶ月後、叔母に肺がんが見つかったと連絡を受けた。 この知らせを聞いたとき、私は、真珠湾を訪れる機会をつくってくれた叔母に 心から感謝した。 そして、その気持ちは、今もこれからも変わらない。