ここ数日、曇りがちで、灰色の空をした日が続いている。この薄暗い悲しげな空に、ひときわ映えるのが、新芽の美しい黄緑をした、芝生だ。 アメリカ映画等で、庭一面、見事な芝が敷かれている光景を見た事がある、という人は、多いと思う。これは、決して映画のためでなく、アメリカの家には、芝の庭は、つきものなのである。そして、映画で見るような、あの美しい緑の絨毯は、決して珍しいものではない。
さて、本日、出かけ先から家に戻る時、近所の道を運転していて、目についたものが。それは、近所の美しい芝生。私達のすんでいるブロックのほとんどの人々は、老後の生活を満喫している、ご老人達。その中で、子供がいる家庭は、我が家のもう一軒だけ。そして、それを語らずして分かる方法が1つ。この家と家の芝だけ、タンポポがきれいに咲いている。その他の家の庭は、見事な緑の芝生の絨毯なのだ。
日本からやって来た私には、芝生の手入れ、とは、いったい、どんな事をするものなのか、全く分からず、主人の主張する、「化学薬品を庭には、使わない」意見に、曖昧に賛成して来た。その結果が見事に現れている。どこの家でも、春先に、芝生の手入れをする業者や、家主が、何やら薬をまいているのを見かけるのだが、これは、春先、雑草がまだ活動を開始する前に、除草剤混合の芝生の肥料をまくという事だった。どうりで、お見事。境もなくつながっている、お隣の家の芝には、雑草が全くない。それにしても、お隣さんは、我が家の雑草の占領具合をみて、いつ自分の庭に入ってくるか、ハラハラドキドキだろう。
春の手入れの次は、初夏の手入れ、そして夏には、毎日水をまき、秋にも更に手入れ。芝の手入れは、ほぼ3シーズンに及ぶのだ。こんなこと、余程暇で、好きでないと出来ない。でも、おばあちゃんの一人暮らしのお宅でも、ちゃんと業者を雇って、手入れをしている。やはり、芝の手入れというのは、常識なのだろうか?
さて、我が家では、今年、見るに見かねて、私が、「化学薬品使用は、年に3度程は、いいでしょう」「それより、我が家の庭の手入れの怠りに寄って、このブロックの評価各を下げるのは、申し訳ない」と主張し、春先の肥料まきをしてもらった。まあ、至る所にひろがったタンポポや雑草を、一気になくすのは無理だけど、少しづつ地道に、美しい芝生に変えてゆきたいわ。