Education
18 11月 2011 コメントする
綾花が公立校に通い出して3ヶ月が過ぎようとしている今、私が感じる以上に綾花も教育について色々感じるところがある様で、かなり客観的に ”教育” についてを語る機会が多い。
先月の先生との面談の際に、通常モンテソーリ教育上がりの子供達は、タイムマネージメントが苦手で、集団生活に馴染める様になるまでかなり長い期間が必要になる事が多いのだけど、綾花はその点、特に問題ありません、と言われ、モンテソーリッ子のレッテルみたいなものを改めて感じました。この言葉は、知識の高い人たちの間ではよく聞かれる言葉ですが、私はこういう言葉を発する人の、物事の本質を見極められない創造性の乏しさにお情けを感じてしまいます。
モンテ教育に対するレッテルは、綾花も最近感じる様で、
「私がこれまでモンテソーリの学校に通っていた、というと みんなは私をバカかアホだと思うんだよ。だからもう、モンテソーリに通っていたって言いたくないの。」
などという事を言い出した。まあね、これも教育の本質を見極められない親の影響で、子供達も親の言葉をそのままコピーしているだけなんだろうけど、、、、 でも、もっと驚いたのは、綾花の次の言葉
「でもね、私モンテソーリに通ってよかったと思うよ。だって今やっている算数は、私が2年前にやったことなのに、沢山の友だちが「むずかしい、むずかしい」って大騒ぎしているし、サイエンスの勉強も、だいたいの事は、ミスキャロリンがお話してくれた事だから、私にとっては、始めての事ではないからね。」
綾花なりの考えではモンテソーリは、個人個人が独立したペースで勉強するから、この教科でここまでやったって言う感覚はないけど、気がついたら色んなことを知っていた、ということだそうです。
全くをもってその通りで、モンテでは勉強した事に点数をつけられる事もないので、何のプレッシャーも感じずに知識を自分のものに出来、学習する事=知る事なので、テストには出ないからこれ以上勉強する必要はない、、、、なんていうナンセンスは子供の中にはなくなって、知りたい事をとことん追求していける習慣が身につく結果、公立校の様に時間時間で区切られる条件下に入ると、それについていけなくなってしまうんですよね。
集団についていけないってことは、確かに問題があるかもしれません。特に、集団での行動を強要される条件下では。私がこれまでモンテの学校で見て来た子供の多くは、自身のやりたい事への興味が強すぎて自分をコントロール出来ない結果、モンテに通っているという子供が多かったかもしれません。でもどの子供も、ある一面においては、かなりオタクな感じで、こういう子供達と接するのも非常に興味深いものでした。では、こういう子供達の将来は、集団についていけないというだけで、危ういものになるのかと言えば、そんな事もない様に思えます。というのも、現在アメリカで活躍している企業、アマゾン、グーグル、アップルの創設者は、皆モンテソーリ出身です。彼らは幼い頃から、時間的、空間的、精神的自由を与えられた環境で物事の真髄を追求する訓練を受けてきたから、新しい発想で企業を興せたんだと思います。
誤解のないように付け足しますが、今日私が書きたかったことは、公立の教育を批判する訳でもなく、モンテソーリを高く評価するのでもありません。色々な特質を持つ人間がいる事は誰もが否定することが出来ない様に、教育も色々な形があっていいということです。ただ一般的には少数派というのは、大多数派からは白い目で見られることが多い様に、そんな状況をひしひしと感じずにはいられないと、、、、